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亜無亜危異 [日本]

ヤマハのコンテスト上がりのバンドで、彼らが自分でも「かっこ悪いんだけど」と言っていたのだが、
そして、1stアルバムはイーター、SLF,クラッシュ、チャックベリーとコピーが山盛り入っているというところも
今から思えばかなり困ったもんだが、とにかく日本のパンクの扉を無理やりこじ開けたのはアナーキーだ。

東京ロッカーズや、プラスティックスといった本物志向?と違って暴走族による、国鉄服の、ロックンロールは
とにかく受け入れられた。1st「アナーキー」は10万枚位売れたらしいが、その1枚は私の手にあった。
その後、「’80維新」というかなり音がよくなった2ndアルバムを経て、3rd「亜無亜危異都市」を発表。
ロンドン録音のこのアルバムは曲も歌詞も充実し、4thアルバム、「ready steady go」でパンクロック時代の集大成を迎える。次の「ライブ」の後はスピードロック色から離れ、本格的ロックへ接近。
同時期、スターリンやスタークラブ等の自主制作系のパンクの登場、ハードコアパンクの急展開など
の波の中でパンク色から外れたアナーキーは「パンク」としての地位から外れて行った。私の中では
少なくともそういうことだった。ハードコアが出てきて、完全に消えた。

私は仲野茂の、直接的な歌詞の世界が割と好きだったので、メタファーの少ない4枚目までが私のアナーキーだ。ライブも入るが、ギターの色がかなり変わっていたので、やっぱ4枚目までだ。ストラングラーズの
JJのベースの音が変わってしまったのと同じようなことだ。

3rd、4thは佳曲が多い。代表曲は省く。
・探し出せ   ・・・イントロはクラッシュのヒッツビルUKのパクリだが、それ以外はラフだし、歌詞もいいし、
           各パートのブレークの部分とか、特にコバンのちょっと遠慮がちなソロとか、愛すべき曲だ。
・改革子供 ・・・ 直球勝負でアルバムの占めを飾る直線ロック。
・平和の裏側・・・クランプダウンに似た展開だが、藤沼のギターソロの音色がなかなかに鳴かせる。
・ハイウェイ ・・・仲野茂氏のメタファーゼロ、字余り字足らずの直球の歌詞。「風にでもなれるならいっそのこ           となりてえ」という歌詞は日本の歌詞史に残る一節。
・ブービージョー・・・コーラスがいい。
というような、仲野茂の歌詞がいい歌が好きだ。見上げたもんだな屋根屋のふんどし、である。
あなたのもこ、高橋基子のNHKラジオのトーク、誰かアップできない?(ニューサウンズスペシャル?)
ゲタカルビもロックバンドも大して興味はないが、アナーキーは青春をどす黒く汚しているのだ。



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YMO/Mad Pierrot [日本]

この歌の立ち上がりと、歌パート、好きです。
勢いもあるしね。

cosmic surfin も好きなんだけど、スタジオテイクはこちらかな。
ライブテイクはcosmic surfinがのりのりで好きなんだけど。

いろんな画像がアップされるようになって、観られるようになった。
矢野あきこは海外ツアーではなぜか超色っぽい。1979-LAなんてエロい。
あと、コンピュータのドでかい操作盤みたいなとこにクリスマスの電飾みたいのが貼りつけてあって、
ぴかぴかしているのはかわいくもほほえましい。テクノポリスらしく振る舞うのも大変だったんだな、と思う。

めっちゃ聞いてました。中1-2くらいの時だね。

色々と批判したり、演奏がへたとか言う奴がいるけど、結局は
「じゃ、おまえ、今の時代で新しいとされるものをやってみろよ」
と言われればそいつらは沈没だ。
そういうことなんだよ。
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WDRS/the wanderers(japan)/picky boys [日本]

スティーブジョブスやビルゲイツが1955年生まれで、そのあたりに産まれてないと
コンピューター産業の礎を作れる人物にはなれなかった、とよく言われるように、
たまたまその時に産まれたという偶然性が欠けているとムーヴメントを作ることも
参加することも出来ないというのは本当のことである。

ワンダラーズが再開したらしい。
かつて、関西Oi界では異色のロカ混じりながら中心バンドとして活躍していたバンドである。
関西oi/skins黎明期、1967年組が関西のシーンを勃興したと言ってもよい。
クラッカージャックス、ワンダラーズ、ハンプティダンプティなど、人材、バンドともに豊富な学年(あえて使おう)なのである。
イケイケの勢いやら強面ばかりが評されがちだが、そんなことはない。
当時の関西はコンチネンタルキッズ/ビートクレイジーを通じないとなかなか若いバンドが出る場所なんて
なかった。ビークレが悪いんじゃない。彼らも場所の確保に苦労し、信頼を積み上げてきたのだろう。ただ、若いコネクションのないバンドや、毛色の違う連中には目の上のたんこぶだった。

コンチ/ビークレにすり寄っていく連中が多い中(それは仕方ないことかもしれない)、若きスキンヘッズたちは自分たちで場所を開拓し、プレイし始めた。大阪のゲート3を中心に自主企画を行い、集客できるようになり、続けることができるようになった。彼らは真剣に音楽と向き合っていたし、彼らは「出る」「演る」というごく底辺の部分から、地道に努力をしていた。努力もなしにでかい面をしていたわけではないし、様々な素性のバンドが存在したのだ。そこを端折って「右翼」だ「ナチ」だ「大阪スキンズ」だと全部にレッテルを貼っていった東京、東京発の情報の軽率さには本当にあきれかえるばかりか、怒りさえ感じるのである。

というわけで、関西oi/skinsシーンにとって1967年世代という重要な一翼を担っていたバンドだということは覚えておくべきである。担ってない!と本人たちからは言われるかもしれないが、この曲はそういう背景を思い出させる、忘れえぬ名曲なのである。


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REBECCA / COTTON TIME [日本]

レベッカ。割と好きでした。実は。
この歌、たまたま聞きました。最近。
この歌、夏の夕暮れのドライブには最高でしたな。

レベッカⅣ。名盤ですよ。このアルバムと、シングル盤数曲しか知りませんが。
同アルバムではメイビートゥマロウとか、ロンドンボーイとか、印象的ですよ。
歌詞は、うーん、まだ若者が上昇志向に希望を持っていられたギリギリ
の時代の境目をよく歌っています。
「今は若くて辛いけど、でも明日は来る」
という一貫したテーマがあります。
 
今の時代の歌は同じ若い時代を謳っても
「とりあえず明日が来るからとりあえず今日を生きよう」
という歌詞が多いですね。
言ってる意味は同じなんだけど...ニュアンスがね。

サウンド的には80年代後半のエレポップサウンドの極致ですね。
他のポップバンドと一線画すくらいよくできてます。
リズムとシンセベース中心のリズムが強くて、ギターが後ろで。
まあ、言ってしまえばマドンナサウンドなんだけど。
このアルバムじゃないけどラブイズアキャッシュなんてもろマテリアルガールだし。
でも声も良くあってるし、時代っぽさも良かったんじゃないかな。

ノッコって失礼ながら全然美人じゃなくて、体もペッタンコで、なのにマドンナワナビーな
パフォーマンスやってたんだけど、あれはいらんかったけど。
でも、どの曲も良くできてたし、日本のポップの名盤でしょう。
その後、ラズベリードリーム、ロンリ―バタフライとエレクトリックサウンドから離れて行く
のだが、その当たりのロウサウンドとの兼ね合いも好感度高し。
その後はよくしらない。

george du boseによるひざまづいて歌うマドンナの無名時代の写真は有名であるが、
そこから上昇していくマドンナに自らを重ねられる時代だったんでしょう。

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忌野清志郎/激しい雨 [日本]

この歌、清志郎がなくなった時、聞きまくってました。
カラオケでもよく歌います。
RCの歌詞がちりばめられていて、切ない詩。

この歌、社会情勢やらなんかを考えると
ものすごく核心をついた歌詞で世界に痛い歌だなあ、と思う。

誰もが見守ってる。世界は愛しあうのか。

世間には愛だの、やさしさだの、自分大事主義の歌ばかりあふれてて、
もううんざりしてます。
社会派はださい、辛辣な歌は危ない、じゃなくて、社会のことをこんな風に詩に出来る
詠い手がいなくなっただけじゃないのかな。

それと、音楽のマーケティング化。
ボーカル学校や作詞学校を優秀な成績で出て、マーケティングに基づいた歌ばっか
やってるから、なんかマニュアル化したようなつまんねえおんなじ歌ばかりが
あふれてるんだろうな。

音楽は音質じゃない。本質だぜ。



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COBRA/toy revolution [日本]

人生には避けられないことがある。奇跡の一枚もある。
コブラのAAからの2ndEPもその一枚である。

メジャー後のコブラの活動はなんじゃそら、だったりするし、
スキンヘッズに総スカンをくらっていたし
ベーシストの玩具になってたのもなんか悲惨だったし
必死で軌道を戻そうとする姿勢も痛々しかったりもする。
聞いてみてもやっぱり面白くない。
AAのEP当時のコブラがすごかっただけに、落胆はきつかった。
こうして書くのも心が引けるほどに。

ところが、ふとしたきっかけでAAの”toy revolution”を聴いて、いいなあ、と思った。
ラリー、ミーチャン、ヨウスコウの3人でつくられたこの1枚はすごい。
後のセルフカバーと比べると、リズムも、ギターも、声も、雰囲気も全然違う。
歴史に残るギターソロ、リフ。あとドラム。タメの絶妙さや、ちょろっと入るオカズが出色のでき。
人間の手によるものだから、間、てもんがあるんだろうなあ。
トイドールズ的と批判をされるが、rusty knife 、toy revolutionはそれまでの
コブラの延長線上だし、warもreal nowもステージでは楽しいスピードチューンだった。
テクニシャンが、いい機材でやれば、よいものが出来るというものではない
という見本である。なんでメジャーの方が薄っぺらだったり、貼り付けたような
平面的な音になるのかなあ、と思う。素人なので知らんけど。

当時のコブラのステージは本当にすごかった。
”1984”のベースのファーストタッチで大きく揺れる。
当時はライブではヨースコーはベースは弾かず、ある重鎮の方が弾いていたと思う。
メジャーになってからみたいに「Oi!」を商売にしていたわけでもなかったし。
この2ndの頃には、初期のいい曲はほとんど演られてたわけで、
不法集会ギグのビデオなんかを見てると、捨て曲ないな、と改めて思う。
彼らもまだ10代だったんだから大したもんだと思う。

スキンヘッズファッションなんてあのころ本当に数えるほど。
まだファッションだったかもしれないけど、新しかった。
まだ黎明期でみんな手探り、何も情報はなかった。
歴史家みたいなパンク/スキンズ評論家どもにはわからない世界。
当時を知りもしない後付け知識の評論家きどりみたいのがネットで
「80年代の日本のスキンヘッズはトイドールズパンクに過ぎない」
みたいなことをいうのはうっとうしい。
随分強気なことをネット上だというんだなあ、と思う。
当時の会場で、そこにいた人に囲まれてそう言えるひとがいる?と思う。

何もない砂漠を歩いてきた連中と、ウィキで知識を貯めこんだ連中とは違う。
その時代に誰もやってないことをやる、というのが大事じゃない?
コブラを全面擁護する気はないけど、彼らはあの時代にチャレンジした。
いいものより悪いものが多くても、1つの新しい時代を彼らは開けた。
そこの評価は避けられない。

少なくとも、あとを追って細かいことばっかりいう連中とは違う。
まあせいぜい、ウィキ見て年表でも作って、だれがプロデュースで、この時のメンバーは
だれだ、と必死に覚えて、知りもしないロンドンの80年代のサッカー場のスキンヘッズ
と比べててください。
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sion#1/午前3時の街角で [日本]

この曲は、2年前くらいに聴いて以来、愛聴。
1stの頃は、こっそり聴いてた。なんか、弱みを覗かれるような気がして。
もっとかっこつけた感じで、ニューウェーヴなイメージがあった。
ファッションもゴシックと、サイケデリックと、ニューチャーチの
間みたいだったし。一度だけ街で見かけたことがあったけど。
カセットテープ紛失とともに聴くことはなくなった。20年経過。

で、2年前位にyoutubeでたまたま聴いてみたら、
すごくて、何曲も追いかけて行った。
ロウそのもの。歌詞も凄味がある。
特にこの曲。

「渡りたきゃわたれ、遮断機はあいたまま」

「非常用のから元気を全部呼び出して
あの車が行ったら今度こそ渡りきろう」

という、男にありがちな、(私にありがちな)、
向こう岸への思いと、足りない勇気と、情けない現実と。
ここまで言われるともう、痛い。痛いから聴く。
どの曲も痛い。
説教されてるんじゃなくて、内なる声が聴こえてしまうような痛さ。

サウンドもロウでタフ。ロックでも、ブルースでもない。何だろう。
アメリカンなルーツだけど、なんかひしゃげてて。
ウィリーデヴィルあたりに共通項を見出すのは僕だけ?

RCサクセション/よそ者 [日本]

日本の歌で一番好きなのはこの歌である。
彼らのアルバム「BLUE」に入っている。
1981年の作。
前作「PLEASE]のポップ路線から、ヘビーなサウンド(スピーカーの前でとったようなロウなサウンド)
になり、曲数も絞られている。
シングルカットもなかった(はずだ)。
「JOHNNY BLUE」と「チャンスは今夜」以外はミッド~スロウなテンポ
でまとまっている。

内容は濃く、名作だ。

特に「よそ者」は、彼ら自身が「歌謡曲みたい」というだけあって異質な感じがあるが、
孤独感や、港町や、腰の落ち着かない生活が、言葉少なにも、濃く染みいる。
孤独な恋の歌。

清志郎氏はこのアルバムで男の世界を描いている。
どうしようもなく寂しいブルースマン、オイルまみれの労働者、坂の途中の住民、
友人の死、やりたい男たち、よそもの、去っていく恋人を飛行場に送っていく男。
孤独な男ばかりだ。そういう意味では硬派な内容だ。だから好きなのかもしれない。

彼が孤独を歌う時は男のどうしようもない、とんでもない孤独感を歌う。
誰もいなくなった、誰もいない孤独感。時代からの孤独感。

「サマーツアー」のあたりでハードコアを聴くのに忙しくなって離れてしまったが、
その後、「naughty boy」あたりでまた戻った。

彼の歌詞は私の中で生きている。
死者を想う時は「ヒッピーに捧ぐ」を、孤独な時は「世間知らず」を。
「naughty boy」も胸が痛む。
もちろん恋の歌も。

恥ずかしながら「愛しあってるかい」の初版本をいまだに持っている。
中学生だった私は「成り上がり」ではなく「愛しあってるかい」をロックの入門書として選んだ。
歌謡曲をほとんど聴かなかった私にとってRCは「和の心」であり「心のふるさと」なのかもしれない。

清志郎氏が亡くなって本当に残念だった。
何度も「激しい雨」を聴いた。
そして「よそ者」も。
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