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SEX PISTOLS#1

30年以上に渡り、未だに私を呪い、離れることがない。
ジョニーロットンの言葉は私を呪う。
クラッシュが世間に向けて何かを言おうとしたのに比べ、
ジョニーロットンは世間に吐き捨て、個人を問い詰める。
いま読み返してもそれは変わらない。むしろ、今の日本にあってこそ理解が深まる。

ジョニーの個人への問いは「want」と「what」がキーなのかもしれない。
「what I wanna be」、 「what you want」「What you gonna do」「I wanna be」 等。
具体的に「こうしよう」、「こうなろう」ではない。
「おまえはどうするのか」をひたすら問いかける。
状況を直視し、その中にいる人間(私やだれか)の位置を確認し、
その上で「おまえはどうするのか」と問いかける。

よく彼のことはニヒリスティックとか破壊的と言われてきたが、
これはそのたぐいではない。(そもそもニヒリズムの意味が間違っている。)
目を開かせるきっかけであり、ポジティヴだ。
クラッシュのポジティヴとは全く違う。
クラッシュは教唆的だが、ジョニーロットンは個人の精神に迫るだけだ。
破壊の上の創造というものでもなく、またその破壊性を差し引いても、
力を失うことがない。

当時は、神の存在や、社会や階級の仕組み等が「絶対的なもの」だったのだろう。
日本人はアメリカ人によって神を与えられなかったために、神の絶対性というもの
はなかったし、むしろ経済的にも好調で、訴えなかったのかもしれない。あらたな
反抗のプロパガンダ用語になっていたのかもしれない。

現代を眺めてみれば、80年を挟む数年よりよくなったとは決して言えない。
個人の経済価値は選別され、社会は空疎そのものになりながら、拝金主義
という神に従わされている。経済は自国の「奴隷」より安く使える「労働者」
を探して世界中を旅している。

クラッシュは時代と事物を歌うが(それ自体は悪くない。絵空事や伝説ではなく、
「今」を歌うのは正しい)、ジョニーロットンは個人である「I」や「you」に迫るものが
多いから、時代を超える。他にこのタイプの歌詞は例をみない(真似はたくさんあるけど)。
今もう一度、ピストルズの歌詞を読み深め個人を考える時期が来ているのかもしれない。

20世紀後半の思想・哲学を含む文化の祖のひとりであり、ひいてはネット社会の
考え方にまで影響を大きく与えているのだから、その思想的背景として哲学や倫理
の教科書くらいには彼を載せないことには、時代を分類することも説明することもできない。
偉人。そんなもんじゃあないぜ、と言われそうだが。

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